🦊こんにちは🦊
【私が使い控える言葉】
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※こういった言葉は使い控えています。その代わりに別な言葉を用います。
【私が置き換える言葉】
・拝読→お読みします
・拝聴→お聴きにします
・読了→読み終えます(ました)
なぜ、置き換えるのかというと…和語表現でも😎「充分自分に自信を持っている」からです。
つまり…漢語へのコンプレックスがなく、和語という武器で戦えるからです。
▼私が「ですます調」にするワケ
・A:実際に[みんなに話すことを想定]
・B:[であるだ調]で書くと独り言 気分
・C:[であるだ調]が格式高いと見ない
▽A:実際に[みんなに話すことを想定]
😆実際に話すときと同じように書けば、人に記事の内容に関わることを話す場合に、「言葉の変換」をしなくて済みます。
▽B:[であるだ調]で書くと独り言 気分
[であるだ調]の記事を読むと、どうしても「😒独り言をブツブツと呟いてる感じ」がしてしまいます。もちろん、だからといって、その人を批判はしませんが…
🤔「この人は、どんな気持ちで〝であるだ調〟で書いているんだろう?」
と考えてしまいます。
▽C:[であるだ調]が格式高いと見ない
🤔私は「であるだ調=格式高い」とは思いません。同じく[”ですます調”=幼い]とも思いません。
<硬い日本語=言語武装>
・難読漢字・使用頻度低い漢字
・語尾の形式を固くする
・硬い表現を多用
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男なら拳一つで勝負せんかい!!
▼某作家の騒動で「漢語崇拝」を 目の当たりにした
ある作家の小説が描写が叩かれていました。
・同じ表現を何度も使いまわし
・内容を全く描写できていない
その作家へのコメントは、😡「力不足だ・語彙力がない」などのコメントであり、 「表現の繰り返し・シーンの中身の無さ」に 対して、しっかり判断した上と見られます。
しかし、「その作家の別作品の文」が 貼られて状況は変わります。
「その作家の別作品の文」を 見て「😡😡批判コメントしてた者たち😡😡」が 考えを見直してしまったのです。
😡→😍「こっちの小説はイケるじゃん!」
😡→😍「なぜ、この力を使わないのか?」
と「批判者たちに好評」でした。
【「別作品の文」の特徴】
A:日常語とは言えないような言葉が並ぶ
B:画数が多い漢字が多く使われる
C:普段使いされにくい漢字が使われる
D:A〜Cの言葉や漢字を知っていても読みやすいと言えない文
↑
なんとなく察したかと思いますが、「批判コメントしてた者たち」とは…「漢語崇拝者たち」が 多かったのです。
批判者たちに好評だった、別作品の文についての私の感想ですが…
[D]のことから、批判の考えを覆すほど「好評」を得るものとは、とても思えませんでした。
批判の考えを見直して手のひら返しした人の中には、
😁「あまり目にしない言葉・漢字が使われているから〝😍スゴイ文〟だ❗」
のように感じていた人もいたのだろうと考えれます。いかにも「漢語崇拝者・漢字崇拝者」って感じがします。
※批判者がそう思考したのではなく、無意識の先入観も含む。
【一般的な評価基準】
・表現が良い
・深い意味を持つ
・面白い
・読みやすい
↑
などが一般的な評価の基準とされていると思います。しかし、これが建前になっている人もいます。それが、「漢語崇拝者・漢字崇拝者」ですね。
😁「私の思考回路は漢語崇拝❗」
😁「和語ではない言葉が好き❗」
😁「日常で、あまり使わない言葉が好き❗」
😁「日常で、あまり使わない漢字が好き❗」
😁「そういった我好みの文章・作品は"執筆能力が高い"と評価するぞ❗」
↑
これが、「漢語崇拝者・漢字崇拝者」の脳のつくりです。
<日本語の基礎>
和語とは
http://onbin.hateblo.jp/entry/wago1
どく‐りょう〔‐レウ〕【読了】 の解説
[名](スル)すっかり読みおえること。「全巻を読了する」はい‐ちょう〔‐チヤウ〕【拝聴】 の解説
[名](スル)聴くことの意の謙譲語。つつしんで聞くこと。「御高説を拝聴する」
はい‐どく【拝読】 の解説
[名](スル)読むことを、その筆者を敬っていう謙譲語。拝誦。「御著書拝読しました」
キーワード:です調・ます 調、です調・ます 調、
だ調・である調、だ・である調、である・だ調