🦊 こんにちは 🦊
別なことを調べるついでに、電報関連の歴史を調べいくうちにまとまってしまったので、それをできるだけ簡潔にして
「3分でわかる!」
と言えるレベルで、スッキリまとめてみました。
【電報の歴史】
1869年:電報サービス開始(東京・横浜間)
1875年ごろ:電報の利用区間が、ほぼ全国
1889年以前:電報を送る際は、郵便局で紙にカタカナで送りたい電文を書く、それが送られていた。
1890年:電報の電話受付が開始。郵便局に行かなくても送れる。
1930年:一般向けの写真電報サービス開始
1936年:慶弔電報(祝電・弔電)が開始された。
1947年:模写電報が登場。模写電報により「漢字・数字・図表・図案」などを電送可能
1988年(昭和63年)ひらがな電報の開始
▶オマケ:電報開始時のネタ話
出典:https://park.org/Japan/NTT/MUSEUM/html_ht/KA000900_j.html
電報開始
ろうそくやランプの明かりで本を読んでいた人々にとって、紙に書かれたメッセージが電信線を介して相手に伝わるということは、信じがたいことだったにちがいありません。電信線の下を通るときは頭上に扇をかざして通る旧武士がいたり、果ては魔法であると石を投げてみたりする始末だったとか。不気味に思えたのか電線を切断する人も多く、技術者はその修理に追い回されたといいます。
https://park.org/Japan/NTT/MUSEUM/html_mn/MN_idx_j.html
https://park.org/Japan/NTT/MUSEUM/
NTT DIGITAL MUSEUM
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このサイトでは初期の通信の話が、初期のwebsiteで書かれている。
▶参考
出典:電報150年の歴史を振り返る「電報今昔」|祝電|弔電|NTT西日本
1875年ごろには北海道から鹿児島まで電信線が引かれ、電報の利用区間はほぼ全国に広がることに。
出典:電報150年の歴史を振り返る「電報今昔」|祝電|弔電|NTT西日本
1930年には、一般向けの写真電報サービスも開始。さらに1947年には模写電報が登場、漢字・数字・図表・図案などをそのまま電送することが可能となり、
明治時代における電報
日本の電報サービスは、1869年(明治2年)東京・横浜間でのやり取りが始まりです。電信機から送られてくるモールス信号を解読し、メッセージを手書きするという方式でしたが、手紙よりも遥かに早い通信手段でした。1875年(明治8年)には、全国で電報が利用できるようになります。それまで電報を送る際は、郵便局で紙にカタカナで電文を書いて送っていたのですが、1890年(明治23年)には電話受付が開始されました。
出典:電報150年の歴史を振り返る「電報今昔」|祝電|弔電|NTT西日本
1875年ごろには北海道から鹿児島まで電信線が引かれ、電報の利用区間はほぼ全国に広がることに。
出典:wiki
慶弔電報は冠婚葬祭などでのメッセージを伝達する手段(祝電・弔電)として、1936年に逓信省によって開始された。
https://park.org/Japan/NTT/MUSEUM/html_ht/HT988060_j.html
1988年(昭和63年)ひらがな電報の開始
電報サービスの文字が、従来のカタカナに変わり、基本的にひらがなを使用するようになりました。文章中には、ひらがな以外にもカタカナやアルファベットを使用できるようになり、電報の読みやすさは格段に向上しました。NTTでは、TVコマーシャルなどでこの電報サービスのエポックをPRしています。
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