🦊 こんにちは 🦊
2019年以降、コロナ渦において、「
▽国・事業者が言う〝自粛〟とは?
※前提を整えるために便宜上の定義を示しておきます。
・〝営業〟については〝休業〟
・〝外出〟については〝外出控え〟
・〝〇〇自粛〟は〝〇〇しない〟
※ニュースなどを見る限り、基本的にこのように使っていると考えられます。また、地域・団体が市民に〝自粛〟を呼びかけるときも、同じような使われ方です。
▼違和感の正体「自粛要請」
まず、「
私が気になった部分として、 「自分から進んで」の部分です。これは、〝誰かしらの言葉によるものではなく、自ら打ち出した考えのもと〟というのが「引き金」の行いを指します。
しかし、「国の指示によって外出を控えた」となると、「
▼「引き金」は?
この要請を受けて「外出控え・休業」などをする人は、何が「引き金」になってそうしたかというと、完全に「国などの要請によって」ですよね。
もちろん、〝最終的に外出するか、外出しないかどうか〟は、個人で判断できます。では、最終的に「外出控え・休業」などを選んだ人は、 「自分から進んで、外出しないことを決めた」「自分から進んで、休業することを決めた」と言えるでしょうか? 違いますよね。それを決めた要因を書き出していきます。
▽休業・外出控えの「引き金」
・国の要請
・周囲の同調圧力
・支援金の有無
などを受けた上での判断した人が9割9分以上なハズです。そもそも、要請がなかったら、「外に出るのを控える」という発想に至る人も今よりずっと減ります。
▼「自粛」は、根の心が大事
「
自粛との違いに「いましめ」という要素がありますが、ここで見てもらいたいのは、「自戒」の意味に、「自分から進んで」という要素がないところです。
▽「自粛」と異なり「自戒」は、促されてるかは問わない
「
・失敗後に改善すべきと言われて改善策を考える
・反省文を書く
・修行僧が師匠に「修行が足りない!」と言われ、己を戒め励む
など。
▽「自粛」を辞書通りに捉えると心が大事
辞書通りに捉えると、「自粛」は「自分から進んで」という心が大事というのがわかります。促されたからこうするという考えではなく、自分の心がそうしようと考えたからというのが、「自粛」と考えられます。
※「辞書」の意味説明が、そもそも「オカシイかもしれない」というのも、後に語ります。
▽自粛要請されていない事業所・業種の「自粛」は問題ナシ
「自粛要請」という名の「休止要請」をして「休業」させたい場合は、「辞書上の〝自粛〟の意味から離れている用法」と言えます。しかし、〝自粛〟の意味として問題ナシと考えられる使い方も当然あります。
それは、「人混みを避けるべき・マスクが大事」などの情報を聞いただけの段階や、「休業要請が飲食店のみの状況」の段階のときに想定できるものです。
😅「うちは飲食店じゃなく休業要請されてないけど、人が密集する店だから営業を〝自粛〟しよう。」
↑
このような「自粛」は問題なく使ってもいいと思います。
※これは、指示されたからではなく己の考えからというのが見て取れます。
▼なぜ「自粛」という言葉を使うのか?
国のトップ層が、「単純に辞書通りの意味を把握してない」というだけかと思いますが…その考えは一旦置いといて、国が辞書通りの意味を頭に入れているという仮定のもと、意図があるかを考えてみます。
国が意図的に「自粛」の意味に含まれる「自分から進んで」という要素を利用してると考えたら、どんなことに利用できるでしょうか?
そうです!
国民の責任にできるのです!
国「〝自粛〟の呼びかけであって、休業したりするのは、〝国民が進んで行っている〟ことだ!」
という言い訳ができます。
おそらく、「自粛」を使っている「国のトップ層」のすべてが、そこまで考えてはなさそうですが、そのうちの何割かは「自己防衛の言い訳」として使っているかもしれませんね。
だって、「募ってはいるが募集はしていない」と言っちゃう人が国のトップであった歴史がある国ですから、常に言い訳を考え・逃げ道を作っていると思われても仕方ありません。
▼オマケ:辞書の「自粛」の意味について
今回の記事は、「自粛要請」という言葉に違和感を持ったときに、辞書上の「自粛」の意味が「自ら進んで」という要素を持っていたことで、「自分の違和感と要素が合致」した結果により記事にしようと思いました。
私自身は、「言葉狩り」のようなこと、「厳しい言葉の使い方の指摘」は、良いことではないと考えています。今、多用されている「自粛」という言葉は、「やらない」「取りやめる」などの意味として定着しています。そして、「自らの意思は問わないし、何かに促されたかどうかも問わない」という使われ方がされています。
▽なぜ「自ら進んで」が入ってるか考える
おそらく言葉の誕生時点では、「己の心からの慎み」としての使い方が多かったのかもしれません。※1940年の例:断腸亭日乗〈永井荷風〉「自粛自粛といひて余り窮屈にせずともよしと」
その傾向から、「意味を文字に残すとき(辞書など)、その傾向も入れる」となったのかもしれません。その間に、「人の指示による慎み」としての使われ方がされていったのは、今の現状を見れば明白です。しかし、その用法があるにも関わらず、意味をまとめる際に「己の心から」という要素を抜くことなく、またそれに限定する形のまま、今の辞書にも引き継いでいるのではないかと推測してみました。
▽「自粛」の対象が広がったワケは?
「粛正・粛清・厳粛・静粛」などの自分以外に用いる「粛」の熟語があります。それらは、対象が自分以外だったり、命令する形で使います。これらの言葉に「自粛」が引っ張られて、「己の心から」という要素が薄まった可能性はあるのではないでしょうか?
※このあたりは研究者に任せます。
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