和語の里(Wagonosato) - 日本語・データ化・考察 -

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【誤用】本来の弱冠=20歳男。変化後の意味を間違い扱いにしたら「弱冠14歳・弱冠20歳・弱冠の女性」もNG

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▼誤用の典型例=弱冠17歳

 「誤用の典型例」として、よく挙げられているのが「弱冠(ジャッカン)」という言葉。

 

 よくある指摘が…

😀「田中選手は、弱冠18歳で金メダル取ったんだって!」
😎「弱冠17歳? 弱冠は20歳にしか付けちゃダメだから"弱冠20歳"と言うんだよ」

        ↑

 こんな指摘だ。しかし、この手の指摘を鵜呑みにするのは危険である

 

▼弱冠20歳=重複

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▽「弱冠=20歳男」

 まず、頭にいれるべきは、「弱冠の本来の用法は"20歳"の前につける文言」という勘違いである。そういう人は、下のような指摘をしがちだ。
😀「田中選手は、弱冠18歳で金メダル取ったんだって!」
 😍「吉田選手は、弱冠20歳で金メダル取ったんだって!」
😎「弱冠17歳? 違う違う。吉田選手みたいに20歳につけて"弱冠20歳"と言うんだよ!!」

        ↑

 実は、この指摘通りだと、「弱冠20歳」の部分が「20歳男20歳」という重複になる。「弱冠」という言葉自体に「20歳男」という意味が込められているためだ。

※重複についてはのちに説明。 

 

▽「弱冠」の本来の意味

 慣用化された用法を含めずに、本来の意味「弱冠=20歳男」だけで見た場合の正誤は、下のようになる。 
 
【「弱冠(ジャッカン)」の本来の意味の正誤】
x わずか
x 若くして
x 20歳の女
o 20歳の男 
 
 

▼重複について

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▽重複だから間違い?

 重複なら間違いかどうかは、「文書作成をする場でのルール」によって変わる。また、書き手がダブスタ※にならぬように、統一したほうがいい

※ここでは「ダブスタ」を「2つの矛盾する主張をしている状態」とする。

 

【職場の文書作成のルール】

・「重複=NG」扱いの職場→「弱冠20歳」も使うべきではない。

・「重複=許容」扱いの職場→「弱冠20歳」は問題ナシ。

 

【職場の文書作成のルール】

・書き手が普段から「重複表現はNG」の姿勢→「弱冠20歳」も使うべきではない。

・書き手が普段から「重複表現は許容」の姿勢→「弱冠20歳」は問題ナシ。

        ↑

 言葉の正誤は、その環境によって大きく変わる

 

 例えば、赤子にとっての「ママ、ごはん!」は、「よく言えたね! 偉い偉い!」と褒められて、食事をくれる。

 しかし、40代男が妻や母に「ママ、ごはん!」なんて言ったら、「(私は)ママは、ゴハンじゃありません!」と叱られる。一般的な母・妻からしたら誤用の部類に感じるはず。

※または、すでに呆れられて「はいはい、食事用意してあげまちゅよ~」と嫌味・皮肉・小バカ・哀れみなどを含んだ対応をされるだろう。

※変にこじらせた、「親バカ」は喜んでしまうかもしれないが…

 

 繰り返すが

 言葉の正誤は、その環境によって大きく変わる

 

▼「弱冠」の例文

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▽例文

 正誤は無視して、ニュース・新聞・ネット上で見かけた「弱冠」の例文を記す。
(注:原文そのままではない)
 
【「弱冠」の例文】
藤井聡太が弱冠14歳で、プロ入り」
「彼女は弱冠20歳で、結婚した」
「弱冠にして、優秀主演男優賞を授かる」
「弱冠20歳で、優秀主演男優賞を授かる」
 

▽用法の正誤と例文

 さきほどは、正誤を無視して例文を並べた。次にまとめるのは、さきほどの例文に【正誤の「o・△・x(マル・サンカク・バツ)」】をつけたもの。
※ここでいう正誤とは、「本来の意味、用法であるか」「"弱冠=20歳男"として用いているか」で判断。△=重複表現」。
 
 【本来の用法での正誤】
x「藤井聡太が弱冠14歳で、プロ入り」
x「彼女は弱冠20歳で、結婚した」※1
o「弱冠にして、優秀主演男優賞を授かる」
「弱冠20歳で、優秀主演男優賞を授かる」※2
※1:20歳でも、女であれば、"本来の"用法ではNG。
※2:「弱冠=20歳の男」なので、後ろに「20歳」をつけたら重複で変。「ハタチニジュッサイ(二十歳20歳)」に近い構造である。「ハタチニジュッサイ」に不自然さを感じるなら「ジャッカンニジュッサイ(弱冠20歳)」にも不自然さを感じるだろう。
 

▽慣用化された「弱冠」の例文

 上でまとめたのは、本来の用法での正誤である。次に、「慣用化された用法での正誤」を見ていく。
※転じた意味・慣用化された意味を、正解扱いとしたマトメ。
 
 【慣用化された用法での正誤】
o「藤井聡太が弱冠14歳で、プロ入り」
o「彼女は弱冠20歳で、結婚した」
o「弱冠にして、優秀主演男優賞を授かる」
o「弱冠20歳で、優秀主演男優賞を授かる」
        ↑
 すべて問題ナシとなる。辞書には「男の20歳」以外の意味も載っていて、慣用化の中でも許容されやすいものとなっている。
 「言葉の正誤は、その環境によって大きく変わる」ということから、アナタが身を置く環境が重複を許容するならば、「弱冠を用いた文の中で誤用と言われるものは、ほとんど問題ナシ」ということになる
※重複を許容しない環境だと「歌を歌う」もNGである。それは、危険な言語環境である。
 

▼オマケ:「20歳」と「数え年の20歳」

 実は、本来の意味での弱冠を使っていたとして、そもそも「人の年の数え方が、統一していない」ということから、仮に間違えてなくても「18歳~20歳に対して"弱冠"を使っていた」ということも考えられる。

 ▽例【2002年12月30日生まれ】の人

 例えば、2002年12月30日生まれの人が、2021年1月1日時点での年齢は、普通に実年齢を計算したら「18歳」。
 しかし、2002年12月30日生まれの人が、2021年1月1日時点での数え年は「20歳」になる。なんと、実年齢と数え年で2歳差が生まれることがある
 上司が部下を褒める場面で説明するが、数え年で20歳の男(実年齢は18歳)の新人社員に対して上司が「君は、弱冠ながら腕前はベテラン級だね。」と褒めた場合、一見「18歳に弱冠は違うだろう。」と思えるが、数え年計算なら間違いではない可能性もある。
 

▽表

【2002年の年末生まれ】
【年】;02末;03始;03末;04始;…;21始
実年齢;0 歳;0 歳;1 歳;1 歳;~~;18歳
数え年;1 歳;2 歳;2 歳;3 歳;~~;20歳
※2002年の年末生まれ=2002年12月30日生まれなど。03始=2003年1月1日などを想定。
        ↑
 表がキレイにまとまらなかったので略して表記したが、具体的数字の表の画像も下に載せておく。その下にテキストデータも載せてるが、SpreadSheetなどで読み込まないと表のようには表示されない。

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【2002年12月30日生まれ】
年.月/日;2002.12/30;2003.1/1;2003.12/30;2004.1/1;…;2020.1/1
実年齢;0 歳;0 歳;1 歳;1 歳;~~;18歳
数え年;1 歳;2 歳;2 歳;3 歳;~~;20歳
 
 
 
▼弱冠関係の記事LINK
 
 
参考
🌏kotobank.jp/word/弱冠-525397
 
 

  [由来] 「礼記―曲きょく礼らい・上」の一節から。当時の男性の人生を一〇歳刻みで描いた章で、「二十を弱じゃくと曰いい、冠かんす(二〇歳のことを『弱』と呼び、この歳になると冠を付ける)」とあります。当時の男性は、成人すると冠を付けるのが慣わしでした。

出典:故事成語を知る辞典(C)Shogakukan Inc.

 

由来は2つからなる。

・昔の中国の制度「弱冠」

元服での冠かぶり

精選版 日本国語大辞典「じゃっかん【弱冠】」

〘名〙
① (中国周代の制で、男子二〇歳を「弱」といい、元服して冠をかぶる(「礼記‐曲礼上」)ところからいう) 男子二〇歳の異称。また、成年に達すること。
懐風藻(751)大友皇子伝「年甫弱冠、拝二太政大臣一、総二百揆一以試之」
太平記(14C後)一二「弱冠の比(ころ)より〈略〉笠懸(かさがけ)・犬追物(いぬおふもの)を好み」
② 年齢の若いこと。弱年。
※明衡往来(11C中か)下本「右弱冠之間、学問為レ宗」
※咄本・私可多咄(1671)二「昔、予弱冠(ジャククハン)のころ、愚父とさがにまかりし事有」
※助左衛門四代記(1963)〈有吉佐和子〉五「弱冠三十四歳で和歌山県会の議長を勤めるようになっていた」

 

 
 周代=「紀元前1046年頃 - 紀元前256年(-1046~-256年)」ということでいいのかな?

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (2021/07/13 09:45 UTC 版)

周(しゅう、拼音: Zhōu、紀元前1046年頃 - 紀元前256年)は、古代中国の王朝。国姓は姫。当初は殷(商)の従属国だったが、紀元前1046年に革命戦争(牧野の戦い)で殷を倒し周王朝を開いた。紀元前771年の洛邑遷都までを西周、遷都から秦に滅ぼされるまでを東周(春秋戦国時代)と区分される。

 

 

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