和語の里(Wagonosato) - 日本語・データ化・考察 -

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【お花見は梅だった!?】サクラに取られた地位【桜狩り】

【春の花見は梅だった!?】サクラに取られた地位【桜】 

桜見、梅見、花見、語源、由来

 【桜の名称の変化】

さくらがり→はなのえん→はなみ

(桜狩り→花宴/花の宴→花見)

注意:花見という言葉自体は桜に限定するわけではなく花全般に使える。その中で一般的に「花見しよう」と企画する場合は[桜の花を見ること]を指すことが多い。多いだけで桜のみ断定するルールはない。

(出典 デジタル大辞泉@小学館:https://daijisen.jp/digital/)

花、特に桜の花を眺めて楽しむこと。《季 春》「たらちねの―の留守や時計見る/子規」

 

 

 【花見において見る花の変化】

梅→桜

一般的に人々がを嗜む場合、見る花が変化

 

【花見の様変わり】

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奈良時代】710-794年

・中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていた

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平安時代】794-1192(or 794-1185)

[中国が衰退し始めた時]

・中国への遣唐使制度が廃止

・唐文化の影響よわまる

このとき、中国由来の梅に対する崇拝度が落ちたのか?

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(出典:「SAKETIMES」)

・推定806年:万葉集に皆で桜を楽しむ歌がない

・そのことから、この時代は宴として桜を見る習慣がない可能性が高い。

万葉集=推定806年以降にようやく完成

(出典:奈良時代の花見は、桜ではなく梅だった?──日本人に欠かせない「花見」 | 日本酒専門WEBメディア「SAKETIMES」)

万葉集』にみる桜:
さらに注目すべきことは、自然の中で咲いている満開の桜を見ながら恋人への思いを馳せる歌が多いこと。桜を見ながら恋人への思いを馳せる歌が多いこと。庭に咲く桜の花を楽しんだり、桜の下に大勢が集って宴をしたりしている様子の歌がない

 

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[出典:e 『歴史ヒストリア』日本人と桜の物語、NHK, 2015年3月25日]

・811年:嵯峨天皇地主神社の桜を気に入る

・以降神社から毎年桜を献上させたようだ

・桜の花見は貴族の間で急速に広まる

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出典:『日本後記』

・812年:”花宴の節(はなのえんのせち)”が催された(3月28日)

”花宴の節”は[桜の花見の宴]としては日本で初めての公式行事

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・831年:宮中で定例行事として取り入れる

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出典:『源氏物語』「花宴(はなのえん)」

・1008年:書物に宮中でのお花見の様 描かれる。
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【鎌倉・室町時代】1185年–1573年

出典:日本の食文化と偉人たち豊臣秀吉 太閤秀吉が演出した空前絶後の醍醐の花見 by キリン食生活文化研究所

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・1185年–1573年:貴族の花見の風習が武士階級にも広がった

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(出典:『吉田兼好/徒然草』の第137段)
・1330〜1349年?:武士階級から地方の人々へ花見の風習が広がったと見られる。

吉田兼好/徒然草』に[身分のある人の花見]と[片田舎の人の花見]の違いが書かれる。

*1
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(参考・出典:山田孝雄 山田忠雄 校訳 『櫻史』 講談社学術文庫 ISBN 4061589164)

【江戸時代】1603年 – 1868年

・花見の風習が広く庶民に広まったと言われる

※ただし格式の高い寛永寺で人々が浮かれ騒ぐことは許されていなかった

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(参考・出典:山田孝雄 山田忠雄 校訳 『櫻史』 講談社学術文庫 ISBN 4061589164)303-304p
・1720年:徳川吉宗 桜を植えさせる、場所=浅草や飛鳥山
そして庶民の山野へ桜を楽しみに行くことを奨励

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【現代以降】

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[大騒ぎ・酔いつぶれ・食べ散らかす]

グループにおいて大騒ぎ・酔いつぶれの花見が主流

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人付き合いの多様化とゴミ問題から

・[花見]のスタイルを問題視

・参加率の低下

・そもそも行わない

など世間的な扱いと見られ方変わり

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【エア花見】

(出典:「エア花見会場は飲食店内/リアルな増加風雨や混雑の心配無用」『読売新聞』朝刊2018年3月23日[くらし面] )

A:VRのエア花見

桜のVR画像配信

VRバーチャルリアリティー、提供はウェザーニューズ社など

B:1サービスとしてのエア花見

・野外での花見の障害を回避が目的

・屋内で行う

・桜の生花や造花を飾り付ける

 これらをまとめてサービスとしてものを「エア花見」と呼ばれる。



 

【名ごと、出典から背景を知る

桜、春、サクラ、さくら、sakura、語源 

はなみ(花見)

起こりは貴人の邸宅に桜の木を植え桜を見たことから。

(山の中に行かずとも見るスタイル)

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これを[桜狩り]とは言えないため、

花見”と言い直したのと考えるのが妥当。

 

さくらがり(桜狩り)

桜を見に行くこと、自宅などではなく山の中に足を運ぶ。(三省堂 大辞林 第三版)

つまり、貴族的な楽しみ方として庭などに植えたを楽しみだしたため桜狩りの名前ではおかしくなっていった。

出典:日本人のおなまえっ!「桜と花見のおなまえ」>どうして「桜見」と言わずに「花見」と言うのか?

桜より梅がまだ主流だったころ、山の中へ桜の花を見に行くことを「桜狩り」と呼ばれていました。しかし、仁明天皇が桜の花を見たくて御所に桜の木を植えたことから、「花見」と呼ばれるようになったそうです。
御所=主に天皇など特に位の高い貴人の邸宅

逆に言えば、

現代のように桜のある場所に出向いて桜を楽しむのは、花見という名より桜狩りのほうが合っていると私は思ひた。

 

 

はなのえん(花宴/花の宴)

桜

出典:『日本後記』

812年:「花宴の節(せち)」が催された(3月28日)

 

出典:日本人のおなまえっ!「桜と花見のおなまえ」>どうして「桜見」と言わずに「花見」と言うのか?

日本で最初に花見のイベントを行ったのは嵯峨天皇で、当時は「花宴」と呼ばれこれが「花見」と呼ばれるきっかけになったのです。

 

 

【謎】なぜウメからサクラに変わった?

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【見る花の変化】

梅→桜

出典:フジテレビ「ノンストップ!」粋な桜のたしなみ(2016年3月28日放送)

奈良時代では桜は地域のカレンダー
・桜の開花に合わせて田植えを始めた
・桜は“生活の道具”で見て趣きを感じるものではなかった

もともと役割としては

・桜=生活の道具 (太陽みたいなもの)

・梅=見て楽しむもの

 

桜が注目されたワケ

・当時の人々は桜のキレイさを知りえていなかった

平城京建設→木を伐採→桜に日があたる→花が咲く

 

出典:日本人のおなまえっ!「桜と花見のおなまえ」>どうして「桜見」と言わずに「花見」と言うのか?
平城京を建設する際に多くの木を伐採したためにそれまでは地味だった桜に日があたりたくさん綺麗な花をつけるようになり、桜の人気が上昇したのです。その証拠に、新古今和歌集では、梅より桜のほうが多く詠われるようになったのです。

 

桜より梅がまだ主流だったころ、山の中へ桜の花を見に行くことを「桜狩り」と呼ばれていました。しかし、仁明天皇が桜の花を見たくて御所に桜の木を植えたことから、「花見」と呼ばれるようになったそうです。

 

 

花見の様変わりは、中国の文化も影響していて、天皇の個人的な嗜好も影響しているなど面白い歴史を持っています。

その中で、[桜狩り]から[花見]へと名前を変えたワケも歴史を見れば見えてきます。

・貴族的には出向いて桜を見なくなったから[桜狩り]という名でなくなった

・一般的には逆に[桜狩り]という名だったころのように出向いて見に行く

貴族と庶民の隔たりがあるのに言葉だけは共有してしまっているとチグハグになるというのも面白い。

*1:吉田兼好/徒然草』について、国文学者橘純一は、鎌倉時代末期、1330年8月から1331年9月頃にまとめられたとし、長く有力説とされてきた。この説によれば南北朝の争乱以前に中年期の兼好が著したことになるが、異論もある。現在は長年書き溜めてきた文章を1349年頃にまとめたとする説も有力になっている。